「蝙蝠の安さん」を国立劇場で観てきました。26 日まで行われていた 令和元年 12 月歌舞伎公演 は 「Aプロ」-  近江源氏先陣館   蝙蝠の安さん  「B プロ」-  蝙蝠の安さん という少し変則的な構成で行われました。通常は午前と午後の部で分け、演目も全く異なるということが多いです。「蝙蝠の安さん」だけを観たいという人が多いのを見込んででしょうか。私もその一人です。

私は、 24 日の「B プロ」を観ました。24 日と 25 日はクリスマスイベントということで公演終了後にトークショーが行われます。

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トークショーは 主演の松本幸四郎 (以下 幸四郎)さんを中心に 大野裕之(脚本考証/日本チャップリン協会会長:向かって右)さん、大和田文雄さん(演出/日本芸術文化振興会理事:向かって左)の3人で行われました。

https://www.ntj.jac.go.jp/kabuki/news/12chaplin-kabuk-night.html

二人の出会い

「蝙蝠の安さん」は チャップリンの「街の灯」を基に作られています。内容を一言で言うと「花売り娘」の お花  (以下、お花) と 「日雇い労働者」の 蝙蝠の安さん(以下、安)の 恋愛話です。とある日の夕暮れに、  蝙蝠の安さんは   道端で花を売っている 目が不自由な「お花」に出会います。 安は 一目惚れをし、なけなしのお金で売れ残った花を買い取ります。安は見栄を張りました。 お花は目が見えないので、安の見すぼらしい格好に気付きません。お花は安をお金持ちだと信じてしまいます。それからは、毎日お花が店を閉める前に訪れ、売れ残った花を買い続けます。

安の出で立ち

大和田さんが、 写真撮影の時に 幸四郎さんがスタジオから中々出て来なかったという話をされていました。

幸四郎さんによると、化粧に時間が掛かっていたとのことでした。通常は元々の化粧を踏襲するので掛からないのですが、一から化粧を造られたようです。化粧について印象に残っている話は、「白塗りにしたかった」「イメージを作ったら、やり直しせずに化粧を決める」というところでした。

スタジオで時間がかかっていたのは、安の 全体的なイメージを頭の中で何度も作っては壊しをしていたからのようです。

蝙蝠の安と言う名前は、玄冶店の「切られ 与三郎」の 遊び仲間の「蝙蝠安」 が由来です。

チャップリンのトレードマークである山高帽子についても、 きちんと?「金盥?」で再現されています。

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衣装や化粧については Twitter にこんな意見もありました。私はおおむね逆の意見で、好意的です。理由としては、奇異だからこそ別れの少しチグハグで奇妙なやり取りが生まれたのではないかと考えているからです。

https://twitter.com/mamizuku/status/1208724912778514434

別れ

お花の目が、治療費さえ払う事が出来れば治ると知った安は、金の工面に駆けまわります。どうにかこうにか、金を手に入れた安は、いつもの様に閉店前に訪れ、残りの花束の金額として、5両(通常は 「文」の単位)を渡しました。

安から貰ったお金で、目を治したお花は 花屋の店を構えるまでになります。

そこに、見すぼらしいなりをした男が現れます。安でした。安は友達に誘われ、日光の方で働くことになっています。明日 出立するので、別れを惜しんでお花に会いに来たのでした。

安の格好を見たお花は、ホームレスと勘違いしお金を恵もうとします。お花は 治療費を出してくれた人が 「お金持ち」と信じ込んでいるので、目の前の安がその人であるとは気付きません。

安は お金を断り、その代わりに花をもらえないかと お花に言います。

お花が 安に「花」を手渡した時に、安の手の感触で もしやと思い当たります。 安は、お花の何か言いたそうな素振りを振り切って、思い入れ(終幕)となります。

良くある歌舞伎の終幕では、「またの再会」を願って、全員そろって型を決めて終わると言うのは良くありますが、「蝙蝠の安さん」では、この二人が二度と会うことはないだろうことを、花道からお店の方向に向いて 別れを惜しむ安の様子から想像させます。

お花に 「良い人」(結婚の約束を交わす)がいた訳でもないし、安が 何か一言決断すれば、ハッピーエンドでこの話を終わらせる事ができたのではないか・・。でも、幸四郎さんが語られていた(記憶が曖昧ですが)「無償の愛」に、お金が絡んでいる事で利害関係が発生してしまい、安からは、どうしても 好きと言い出すことは出来なかったのではないかと、安の心の内を想像します。​

別の世界線

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「蝙蝠の安」のモデルは、山口瀧蔵と言われています。彼は、商家の次男として生まれ、容姿とお金に恵まれていたそうです。花柳界の寵児とも呼ばれていたそうなので、その通りの人物に描かれていれば結ばれていたかもしれません。

歌舞伎として成立したかは分かりません。